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2007年12月19日

『東大寺と渡来人』:古代ロマン塾 山川 登

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Ⅰ 知識〔5〕
 かなり急勾配な一〇〇段あまり石段をのぼって本殿を拝観し、下りてくると、下校する小学生の安全を監視するお年寄りが三人、たむろしていた。その近くに案内板があって、次のように記されていた。


 この付近一帯には、「知識寺」と呼ばれる有名な古代寺院跡があり、地名から太平寺廃寺とも呼ばれています。奈良時代、聖武天皇や孝謙天皇は、平城宮と難波宮の往来の途中に柏原の地を訪れ、智識寺、山下寺、大里寺、三宅寺、家原寺、鳥坂寺の六寺に礼拝、礼仏されました。中でも智識寺には大きな盧舎那仏があり、それを見た聖武天皇は、その立派さに感動し、奈良東大寺の大仏を造るきっかけとなりました。智識とは、仏教を信仰し、寺や仏像を造ることに協力した人のことであり、智識寺は、これらの智識によって建てられた大規模な寺院でした。智識寺は東西に二塔を配する薬師寺式の伽藍配置であったと推定され、東塔跡の一部が過去に調査されています。出土した瓦から、千三百年以上前の飛鳥時代末頃に創建され、室町時代に廃絶したようです。石神社の境内には、東塔に使用されていた塔心礎を始めとする礎石が移されています。
 以上が全文で、平成七年三月、柏原市教育委員会が作成したものである。
 たむろしているお年寄りに、「この神社の由緒書きかなんかは、あるんでしょうか」「そんなもんは、ないで」「神社なのに、知(智)識寺のことが説明してあるんですね」「そうかい、むこうに、知識寺から移したという大きな石がある」と教えてくれた。
 柵で囲われた中にゆがんだ三角形に近い大きな自然石の真ん中に大きな丸い穴がきれいに刳りぬいてあった。その前に「大阪府指定文化財 知識寺東塔刹柱礎石」と題する案内板があり、次のように記されていた。

2007年12月19日 08:28

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