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2007年12月20日
韓国に暮らして―張都子さん〔8〕―5:鄭容順
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2007年5月12日朝の10時半、張都子さんの店「ウンソバン」で張都子さんを待った。
10時半、2階の喫茶にいた筆者に車が入ってくる音が聞こえた。
車から降りてくる張都子さんにほっと安心した。あいも変わらずおしゃれで小奇麗にしておられた。取材をして京都出身と聞いてなんとなくそんな雰囲気がただよっていることに気がついた。
話し方とか仕草とかが少し京都の在日韓国人と似ている。
言葉でうまく出せないが大阪とまた違う雰囲気である。
そしてここの食事は3階になっていて3階でインタビューをした。インタビューをしている間、午後からこの近くのハミルトンホテルの喫茶で取材する朱敬子さんからの電話が筆者の携帯に入った。
筆者は「張都子さんの店で張都子さんの取材をしている」と言うと朱敬子さんは「張都子さんに電話を変わって」言ったので筆者の携帯を張都子さんに渡した。
そして「ハルミトンホテルから『ウンソバン』の店は近いからここに来たほうがいい」と言ってくれた。
11時過ぎだった。朱敬子さんが「ウンソバン」の店にやってきた。
しばらくコーヒーで話して昼食を取った。
韓定食27000ウオン、朱敬子さんのも一緒に頼んだ。
食べているとき張都子さんが代金を受け取らなかったらどうしょうと考えて店の従業員に筆者は先に代金を渡した。勘違いをして17000ウオンの2人分として40000ウオンを渡した。そしてタクシーに乗ってから気がついた。
5万4000ウオンだった。失礼なことをしたと気がついた。多い目に渡しておればそれですむが不足分14000ウオンがあった。引き返してまた渡すのも大変で次に訪問した時には清算してきちんと払ってこなければいけない。
筆者は暗算が苦手でこんな失敗を時にしてしまう。
張都子さんは筆者とインタビユーをしている間、大きなパンをちぎりながらコーヒーで食事をしていた。パンをひとかけら頂いたが美味しかった。
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そうそう。ニュー国際ホテルに宿泊している。この近くからタクシーを乗ったが行きしなは3800ウオンで帰りは4800ウオンである。
どう違うのか分からない。
帰りは「ウンソバン」をでてハルミトンホテルに向かって歩いた。
タクシーから降りる人がいるので止めて「ニュークッチェホテル カージュセヨ(ニュー国際ホテルに行って下さい)」と言ったら手でバツ印をされた。乗車拒否だった。道が違うのかそんなに遠くない距離なので乗車拒否されたのだろうか。
タクシーが前方に見えたので走って行って飛び乗った。
日本語訛りの韓国語を使っているのにタクシーの運転手は筆者に言った
「ハングマル チャラシネヨ チョソンハッキョナオミカ(韓国語がよくされますね。朝鮮学校をでたのですか)」と言われた。
韓国で何度もタクシーを利用しているがこんな言葉を言われたのは初めてだった。いい加減に応えてはいけない。韓国語で運転手に言った。「イルボンハッキョウナオミッカ ハングルマルアンモッタヨ チョチョンヌンシロヨ(日本の学校をでているので韓国語はできません。総連は嫌いです)」と言ったら運転手はそれからずっと筆者にはなしかけることなく運転をしていた。
筆者も何も話してはいけないと考えてそれから一言も話さなかった。
そして4800ウオンの料金となった。
運転手は朝鮮学校を卒業したといったらどうするのだっただろうか。
筆者が始めて韓国に訪問した1988年5月、ここに記述できないが少し恐怖
そそるような出来事があった。
それからタクシーの運転手との会話に気をつけている。
たいてい運転手は「韓国になぜ来たのか」と聞く。筆者は「観光だ」という。「仕事は何をしているのか」とたいてい聞くので「主婦だ」という。「1人できたのか」としつこく聞かれると「親戚に会いにきた」ということにしている。
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今回は張都子さんの半生は1時間ほどのインタビューでそんなに聞くことができなかった。取材メモが残り少なくなっているので次回で張都子さんは終えることにする。
そして筆者に京都弁で「書きよし」と言った。懐かしい京都弁を使った。
取材ノートの最後の方に「書きよし」の言葉がメモしてある。
次回はそのへんのことを紹介して最終回にしよう。
【写真説明】昼食で食べた韓定食の1部、まだこの他にいろいろと膳の上に並びました。電話をしている張都子さん。
2007年12月20日 02:01