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2007年12月29日

本澤二郎の南京・上海・昆山日記(3):本澤二郎

[東京=「ジャーナリト同盟」通信提供]筆者が南京で行われたシンポジウムに参加した目的は、アジアの平和と安定は日本国憲法にあるとのメッセージを発信したいがためであった。平和憲法はアジア侵略に対する償いとして誕生したものだからである。以下に小論を紹介したい。(2007年12月28日記)


南京大虐殺記念館国際学術討論会・日中国交正常化35周年記念論文
日中平和交流21代表 日本政治評論家  本澤二郎
<平和憲法でアジア・世界に貢献する日本>

本文要約 
 戦前の日本は、政治制度として国家主義を採用、天皇絶対性のもとで軍国主義に突き進んで、遂には中国などアジア諸国を侵略、他方で植民地政策を強行した。この間、数千万人の中国人・朝鮮人など数え切れない人民の生命を奪い、略奪を行うなど悪逆非道な蛮行を重ねて、アジア史にぬぐいがたい傷跡を残した。天皇制国家主義の災いはまた、300万人の日本人の命も奪った。
 日本敗戦は、日本人に二度と戦争をしない、戦争のできない平和憲法を誕生させた。これは日本のみならず人類の誇りであることを人類は確認すべきだろう。こうして日本人は謝罪をこめて、平和に生きることをアジア諸国民に誓った。平和国家としての日本が、アジアへの謝罪が込められているものなのである。幸いにも日本は、一人の外国人に銃を向けることなく62年を経過、かろうじて隣国の人たちに約束を果たしてきた。だが、いまや「戦争のできる日本」への国家改造がにわかに蠢動してきている。
 謝罪を止めようというのか。これに抗せず屈するとなると、アジアに新たな緊張を招来させよう。断じて「戦争する日本」への回帰は許されない。人類の誇り・宝である平和憲法を、世界に広める平和の拠点としての日本であらねばならない。真の国際貢献なのだ。そのための努力が日本人、のみならずアジアの人々にも課せられていないだろうか。
作者紹介
中央大学法学部卒業 東京タイムズ政治部長 二松学舎大学講師など歴任 79年大平正芳首相の中国訪問に特派員として同行、以来これまで訪中回数84回。89年6月南京大虐殺記念館に初訪問。戦後50年の95年に50人の仲間と平和憲法9条Tシャツを着て2回目の記念館訪問。その印象を「中国の大警告」(社会科学出版)、ついで「大中国の真実」(学苑出版)で紹介。あわせて5冊、中国で翻訳出版。
作者
日本 本澤二郎 1942年2月10日生まれ 男 ジャーナリスト 政治評論家 日本記者クラブ会員 日中平和交流21代表 上海・同済大学顧問研究員 東京都品川区大井3-18-15-1306 郵便番号140-0014

本文
1、アジア・世界に貢献する日本
 筆者が南京の大虐殺記念館を初めて訪問したのは89年6月のことである。中国青年報記者が案内してくれた。歴史を学んでない恥ずべき日本人の一人にすぎなかったため、驚愕して腰が抜けそうになったのを覚えている。帰国して平和・軍縮派の巨頭で、日中国交回復に生涯をかけた国際的政治家の宇都宮徳馬に報告すると、彼は即座に自分が主宰する月刊誌「軍縮問題資料」に書いて欲しい、と要請してきたものである。
 戦後50年に当たる95年には、平和の誓いを実践するため日中平和交流21を立ち上げて南京と盧溝橋の訪問を呼びかけた。新聞も取り上げてくれたものだから、学生・主婦・教授・会社員ら50人が集まった。平和労組で知られるJR東労組が中国で作った憲法9条を刷り込んだTシャツを着込んで、再度この地を訪れた。記念館にもこのTシャツを数枚寄贈した。
 なぜ日本国憲法の9条Tシャツなのか。
 日本が誇れるものが、唯一この憲法だからである。こんなにすばらしい憲法は中南米のコスタリカを除いて他にないからである。二度と戦争をしない、させない憲法こそが、アジアの平和と安定に不可欠だからである。国際紛争を解決する手段として武力を行使してはならい。これが憲法の大原則であって国際社会の真理なのだ。軍事力・武器で紛争の処理は困難であるし、むしろ火に油を注ぐだけであろう。
 アフガン・イラクの戦争が卑近な例として誰しもが理解できるところである。戦争は悪である。いい戦争などこの世に存在しない、という立場を貫いている。日本が平和の拠点として君臨することで、アジアから二度と火の手は上がらないだろう。日本と中国が手を携えることで、アジアから硝煙をみることはないだろう。日中友好のために平和憲法は必要不可欠なのである。
 また日中平和友好条約の重要性は計り知れない。軍事力の拡大競争で、民生を破壊してしまうようなソ連の二の舞を回避可能だからである。日本の戦後経済の復興は、ひとえに平和憲法のおかげであった。経済に集中したことで日本経済は、世界第二の地位を占めることが出来たのである。それもこれも平和憲法があったればこそ、である。
<憲法第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない>
2、平和憲法は人類の宝
 何ゆえの平和憲法の誕生であったのか。言及するまでもないが、それは天皇制国家主義下の日本軍国主義による大暴走が、アジア侵略と植民地政策をなさしめた結果、本来、平和国民であるはずの日本人が反省と謝罪を込めつつ手にしたものだからである。
 敗戦後の日本では、それでも体制派と占領支配に利用できる米国政府の思惑などが絡んで天皇制が存続したことは、多くの資料が物語っている。しかしながら戦争放棄の憲法9条について、当時の右翼的日本人からも異論は出なかった。ひとり日本共産党が「自衛のための戦争も認めないのか」という質問が国会でなされたくらいである。
 二度と戦争しない、してはいけないという平和憲法を、日本人全てが異論なく受け入れたのだった。筆者は93年に米国を訪問したさい、カルフォルニア州で占領政策に関係していた日系アメリカ人から取材したことがある。彼は「憲法制定に反対するような日本人はいなかった。自分はこの目で確認している。日本は二度と戦争してはいけない」と語ってくれた。戦争のできない憲法に反発する日本人はいなかったのである。
 戦後直後の日本政治を調べていくと、政権党の源流である鳩山自由党に突き当たるのだが、この政党の基盤は、なんと日本海軍傘下の児玉機関が上海で略奪した資金であった。侵略時の蛮行でかすめとったプラチナなどの貴金属が、自由党設立と戦後初の選挙に使われて第一党の地位をつかんだのである。この児玉こそが戦後右翼の親玉であったのだが、彼が鳩山一郎総裁に対して要求した唯一の条件は「天皇制の護持」であった。戦争放棄についてでは、全くなかった。右翼といえども再軍備に関心がなかったのだ。
 平和憲法を天下万民がこぞって受け入れたのである。それもこれもアジア侵略と自国民の命を奪った軍国主義への猛省からであった。戦争放棄の憲法9条は、日本人の謝罪そのものだったのだ。それは日本が平和国家であり続けるという国際公約でもあった。日本がアジア・世界の平和の拠点として再始動することで、途方もない辛酸をなめさせられたアジア諸国民への約束・誓いなのだった。
 その結果として日本は経済を再生させることができたのである。多少ともアジア諸国にも、その成果を吐き出すことも出来た。日本の平和憲法のおかげでアジアの発展に貢献できたといえまいか。平和憲法ゆえに、たとえ自衛隊が海外に派兵しても彼らの銃弾に倒れた外国人は一人もいない。
3、右翼化と瀕死の憲法
 だが、現在の日本の政治と経済の動向は、アジアの人たちが決して安心できる状況ではない。過去を忘却する右翼政治の台頭である。過去を正当化するような学者・文化人・マスコミの蠢動も深刻である。新たな緊張を生み出す要因が散見どころか、いたるところで見受けられるのだ。
 この南京大虐殺記念館が建設された理由も、日本右傾化と関係があるのだと思いたい。そのため、記念館の有意性は言及するまでもない。アジアのみならず世界史的にも意味のある価値ある記念館である。これらの活動が盧溝橋その他でも繰り広げられていることに、平和を愛する日本国民の期待と希望でもあることを、ぜひとも記念館関係者は知って欲しい。
 日本政治の危機は、社会党の解体(村山富市内閣)と無関係ではない。護憲政党の崩壊が右翼政治を公然化させてしまった。さらに小選挙区制度(細川護熙内閣)へと選挙のルールが変更されると、独裁的政治が生まれることになってしまった。特に小泉・安倍の内閣のもとで、戦争体制が顕在化した。平和憲法の蹂躙である。
 戦争をしない、してはいけない憲法下で、あろうことか有事(戦争)法制が強行された。
アジアに緊張を招来させるミサイル防衛(MD)が導入され、従来の防衛庁が防衛省に格上げされ、同時に海外派兵を主要任務にさせた。他方、戦争を拒絶する教育基本法を改悪して、9条解体のための国民投票法をも、自公政権によって強行された。
 アフガン・イラク戦争への派兵を強行している。しかしながら、それでも武力の行使という一線を越えてはいない。9条による歯止めによるからである。しかし、この一線を越そうとの野望が、自民党と野党・民主党の中に存在していることも言及しておく必要があろう。
 主役は戦前同様、兵器財閥である。財閥が政治を左右する日本である。加えてワシントンの影響を受ける日本政府という関係のもとで、このおどろおどろした策略が進行しているのである。これを防御する平和国民の抵抗が、正に重要な鍵を握っている。不幸にして平和政党の共産、社民両党は、未だ共闘態勢にない。筆者は両党が合体することが急務と考えている。この機会に、アジアの友人も人類の宝である9条憲法を守る戦線に参画すべきだと提案しようと思う。
4、誇れる憲法と侵略戦争
 何度でも繰り返したい。こんなにすごい憲法は欧米先進国を含めた中で唯一日本だけなのである。これを誰しも否定できないだろう。9条憲法が世界の国々で採用された時が、世界の平和が確立したときである。いつの日か欧米、そして中国、ロシアでも9条がそれぞれの国の憲法に明記されるはずである。人類は、平和を最高価値と認識しているからである。
 それがユートピア・桃源郷の地球なのであろう。人類の悲願であるが、その先頭をアジアの日本、中南米のコスタリカが走っている。後者は文字通り、軍隊を保有していない。警察のみだ。軍事費を福祉や医療・教育に回している。だから近隣国に比べて市民生活は豊かである。
 戦争放棄の国々のもとでは、当然のことながら侵略戦争は行われない。全面否定である。
 他方で、唯一の国際機関である国連の権威は強まるだろう。紛争も国連の仲介でもって処理されるようになるだろう。戦争原因は、ひとえに貧困にある。国連の活動は貧困撲滅に向けての支援が中心になるだろう。9条国がいくつも誕生すると、軍事費を福祉へ向けるため、貧困が減少してゆく。貧困解消国は次なる貧困地域に救済の手を差し伸べるだろう。
 もし、世界の国々が軍需産業の意向を排して武器の注文をやめて、その資金を貧困対策に向けることが出来るとすれば、イラク戦争もアフガン戦争も一瞬にして消えてしまうだろう。
 このような時代を構築する21世紀にしなければならない。そのための記念館であって欲しい。その先頭を走るはずの日本の危機的状況に、アジアの人たち、人類は手を貸すだけの価値があるのである。兵器財閥・右翼・国家主義の野望に屈しない平和運動に、支援の輪を広げて欲しいものである。
 当たり前のこうした不戦平和の思想を筆者は、宇都宮徳馬から学ぶ機会を得たことに、この場を借りて感謝の意を表したい。三木武夫・大平正芳・後藤田正晴などリベラルな政治家も同じ考えだった。岸信介・中曽根康弘ら国家主義の政治家ばかりの日本ではないのだ。リベラルな政治家ほど隣国との友好に熱心である。国家主義体制と戦争を全面否定した平和憲法は、文句なしにいい憲法なのである。
5、まだ全て明かされない過去
 毎年、敗戦記念日の8月15日前後になると、過去を掘り起こす新聞・テレビ報道が目立つ。過去に蓋をかけてきた日本を象徴しているのだが、この傾向は62年後の2007年も同様だった。特に、NHKによる旧日本軍生存兵士の証言は、筆者に衝撃を与えた。
 フィリピンにおける米軍との戦いに、敗走する日本兵の悲惨な末路についてもその一つだった。食べるものもない密林での逃亡生活は、人間を動物以下に追い込むという。飢えた敗残兵が、倒れた同僚兵士の肉を食い漁る場面である。犬畜生の世界が現実にあった、という証言は同じ日本人として、人間としていたたたまれないものだった。62年目の証言者は90歳前後の元日本兵である。人間の肉を食うという想像もつかない世界が戦争である、との生存者の証言は重い。たとえいかなる理由があろうとも戦争は許されないものであるかを、彼らは悔恨を込めて人類への教訓として遺言したものであろう。
 犬が犬の肉を食べるという現場を見たことがない。ありえない話だが、戦争は人間を犬畜生以下にしてしまうものなのである。
 また、敗戦間近くなると東北地方を侵略支配していた悪名高い関東軍は、南方作戦のため南下するのだが、そこに投入された部隊の大半が帰らぬ兵士となった、という生々しい証言も強烈だった。
 そのはずで食料を持たずに強行軍する日本兵は、途中での略奪を前提にしていたものだから、これは近代的軍隊ではなかった。夜盗のたぐいだった。その具体的な犯罪をつまびらかに証言する勇気のある元日本兵は、一人もいなかったものの、水田や小川の水を飲んだ兵士は、病でばたばたと倒れていった、という自軍の被害に言及した。
 戦闘による死者は少なかった、という証言である。靖国神社には、こうした無残な兵士が合祀されているのだろうか。あるいは、米軍との戦闘で死んでゆく兵士の最後の言葉は「お母さん」という悲痛な叫びばかりであったという。天皇は神であり、天皇の軍人という徹底した軍国教育も、戦場では効果がなかったという証言も貴重だった。
 それにしても、多くの歴史の真実は今も蓋をされたままなのだ。それどころか真実を封じる動きさえあった。2008年から使用する高校の歴史教科書を改ざんするというもので、これには沖縄県民が決起し、マスコミが取り上げて国民は知ったのだが、なんとそれは沖縄県民の集団自決に「軍の強制はなかった」という真実を覆い隠すものだった。
 軍国主義再生の芽は、教科書改ざんにも標的にしていたのである。国民が油断していると、軍国主義は政界から教育・文化の世界にも入り込んでいる日本の現状なのである。
6、PKOから始動した派兵への流れ
 国家主義は必然的に軍国主義を引きずり込む。双方は人間でいうと双子・二卵性双生児のような関係にある。
 最初は、占領軍の圧力を受けて朝鮮戦争を契機に警察予備隊を立ち上げ、さらに冷戦構造を悪用して自衛隊へと格上げさせた。当時は、これだけでも隣国に脅威を与えた。現に、軍国主義批判が中国などから激しく行われた。これにマスコミや野党である社会党や共産党が敏感に反応して、政府与党に批判を加えた。これらの抵抗が、あからさまな再軍備を縛ってきた。
 アジアからの反発と国内の野党の反撃によって、改憲軍拡の潮流は押し止められてきたことを忘れてはならない。健全な日本社会が、国家主義と軍国主義への警戒感をみなぎらせたことで、右翼の願望に水を差した。これがアジアの平和と安定に貢献したことはいうまでもない。そのことで日本国民は、経済に財力を集中させることに成功し、高度成長を実現させることができた。戦後の日本経済の復興と発展は、アジア諸国と国内野党によるものであった、との分析も可能であろう。
 ところが、その後に変化が起きてきた。アメリカの圧力を好機と捉えた右翼が、国連の平和活動に便乗して自衛隊の海外派兵に熱中することになる。PKOすなわち国連平和維持活動である。現在、野党の民主党代表をしている小沢一郎が時の宮澤内閣を突き上げて、とうとう自衛隊派兵法を制定して、カンボジアPKOを強行するのである。
 そして2001年の9・11事件を契機に今度は、インド洋に自衛艦を、ついでイラクへと派兵を強行した。いずれも小泉内閣である。こうしてみると、PKOを口実にして平和憲法に風穴を開けたことがわかる。「蟻の一穴」という諺があるが、最初は小さな穴でも一つ出来てしまうと分厚い堤防も決壊してしまうものだ。
 「PKOはいいことだ」という人たちは、歴史の教訓を学ぶ必要があろう。国連協力といっても、各国ともまちまちである。アメリカを見習うばかりがいいとは限らない。それぞれの事情がある。特に、日本に対して国際社会はアジアとの敏感な関係を十二分に理解している。決して日本に軍事支援を求めようとはしないのだ。日本の支援はあくまでも非軍事に絞るべきで、それをアジア諸国民は強く望んでいる。
7、覚醒した日本人
 戦後日本の極右内閣というと、岸・中曽根・小泉・安倍の内閣を取り上げれば、十分であろう。幸い、岸と中曽根の時代は、まだ野党が健在だった。それにマスコミも概ねしっかりしていた。そうそう暴走は許されなかった。ところが、村山内閣のもとで社会党が解体してしまうと、一挙に右傾化の流れが加速した。
 特に、岸人脈である小泉内閣になると、隣国の脅威をまくしたてて列島に偏狭な民族主義を植えつけて、遂に有事法制すなわち戦争法を実現した。アジアに緊張と軍拡の潮流を作り出すMD(ミサイル防衛)をも導入した。
 小泉後継の安倍内閣は、防衛庁を省に格上げすると同時に、自衛隊の主要任務に海外派兵を取り入れてしまった。これは驚くべき政策転換である。平和憲法を蹂躙しているのである。さらに銃を持つ若者教育に向けての教育基本法を改悪した。そして戦後の右翼の唯一最大の悲願である9条解体のための国民投票法を、自公両党の多数で押し切った。
 安倍内閣の実績を踏まえての2007年7月の参院選挙は、国民は自公に大敗北で応えた。安倍の極右政策に国民はNOと応え、間もなくして彼は退陣した。平和国民の見事な勝利となった。日本国民が遂に覚醒したのである。アジア諸国民の成果ともいえようか。
 小泉―安倍路線と実質、対立するアジア重視の福田内閣のもとで軌道が修正されている。評価できようか。
8、油断大敵
 とはいえ、平和を愛する人々にとって安心はできない。政治は、一寸先は闇なのである。2007年11月の臨時国会の渦中、突然、福田と小沢が大連立に向けて密談した。自民党と民主党の連立は、憲法改正に必要な3分の2の勢力確保を意味する。戦争のできる国家改造はもはや絵空事ではなくなったのだ。仕掛け人は改憲派の親玉である中曽根と改憲新聞の親玉・渡辺恒雄といわれているが、さすがに世論の反発を恐れて実現しなかったものの、いったんは福田の申し入れに小沢が受け入れているのである。
 現在の民主党は、かつての社会党ではない。党内に自民党議員顔負けの右翼議員が存在している。財閥から資金提供を受けている議員には、平和憲法を大事にしたいと考えている議員は少ない。松下政経塾出身の政治家が特にそうだが、彼らは自民党と民主党双方に足を入れて連携している。特に民主党に多い。
 国民が油断していると、予想外の事態が招来しかねないということを認識しておくべきであろう。平和憲法不在のアジアになってしまうと、欧米の怪しげな策略に利用されないとも限らない。これも歴史の教訓である。
9、武器財閥の台頭
 不思議なことだが、平和憲法を邪魔なものと思い込んでいる経済グループが存在していることに、全く気付かない市民が少なくない。マスコミが伏せているからでもあるが、財閥といわれる政治に圧倒的な影響力を行使している巨大企業群のことである。これらは、まぎれもなく存在している。
 戦争による果実を独り占めにできる、いわば死の商人もこの中にいる。どこの国にも多かれ少なかれ存在するが、とりわけ米国のそれが有名であるものの、日本にも実在する。武器財閥・兵器財閥である。彼らはラーメンから大砲まで全ての商品・ビジネスに大きな羽を伸ばして、莫大な利潤追求に余念がない。
 たとえば、日本ではキリンビールというと有名なビール会社だが、資本は三菱である。三菱財閥は日本を代表する軍需産業である。参考までにいうと、車のトヨタは三井財閥なのだ。社名だけでは正体をつかめなくしている。
 財閥と政党・政治家・政府の関係は、戦前の教訓を踏まえて表向き庶民には見えにくくしている。ご存知、戦前の財閥は軍国主義とともに歩んできたがゆえに、戦後軍閥と共に解体された。しかし、とうの昔に復活し、相変わらず日本経済の中枢を掌握している。見方によっては、財閥が操る日本政治と表現したほうが適切なほどである。
 平和憲法を解体しようとの闇の勢力は、実を言うと、この財閥なのである。このように指摘する専門家は、筆者の知る限り日本にいない。生活が出来なくなるからであるが、事実は事実なのである。改憲軍拡の潮流が収まらない真の理由なのである。
 他方、平和・軍縮派の宇都宮徳馬がいうように「日本人の平和主義はいい加減なものではない」というのも真実である。アジア諸国民と連携することで、彼らの野望を排除できることもまた真実なのだ。繰り返すが、日本に平和憲法が存在するかぎり、アジアの平和と安定は確保できるものと信じたい。(2007年11月8日記)

2007年12月29日 06:30

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