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2007年12月30日
エッセー プロペラ機の降りる町で:朴明子
冷蔵庫を整理していると冷凍した餅が幾つかあった。よかった、正月用の餅はこれで足りるだろう。秋の終わり頃に島根県から送って来たお餅だ。
今年も遠い地から一人芝居の依頼があった。島根県益田市という街は良く知らなかった。山口県に近い町だった。益田市に住むコリアンは150人ほどで人口の1パーセントぐらいだそうだ。芝居の依頼の電話を受けた春頃から、主に日本人のメンバーで実行委員会をつくり何度も会合を重ねて準備していたという。
飛行機の便が多くないので2泊することになる。少し前に北海道へ行って来たばかりで、ひと月の間に2回も飛行機に乗ったのは始めてだ。「萩・石見行き」の飛行機は何とプロペラ機だった。機体をカメラに納める人がいる。私も携帯電話のカメラでシャッターを切った。一年ほど前に、写真がきれいに撮れる電話を買って以来カメラは持たない。
プロペラの回っているのが窓から見える。ずっとエンジン? の音が体に響いていた。もこもこの小さな雲がどこまでも続き、夕陽がそれを真っ赤に染めている。美しい風景を脳裏に焼き付けておきたいが、きっと直ぐに記憶が薄れていくだろう。そうだ、はたと思いついてスケッチをする。輝く雲海と翼を手帳に描いた。帰って来て早速絵にしてみたが、むろんあの神秘さを表せるはずはない。だが思い出すよすがにはなる。
小さな飛行場にお二人の迎えがあった。街までは車で10分ほどという便利さで、車は遠回りして夕陽が美しい海岸を走ってくれた。駅の側のホテルからも遠目に海が望める。
その夜は実行委員会の人たち10人ほどの人たちが歓迎会をしてくださった。多くは日本人だが不思議と同胞に接する時のように親しみがわく。お店の壁に「一人芝居の夕べ」のポスターが貼られていた。一面に私の姿が大きく映っている写真で恥ずかしい限りだ。
私と対談する方は、古布を甦らせた衣装をデザインしている地元の女性である。口数が少ないので私がお嫌いなタイプなのかと気になったが、元来おとなしい方らしい。
翌日、午前中は歴史に詳しい方が街を案内してくださった。益田市は水墨画で有名な雪舟の記念館やゆかりのお寺がある。
昼食はまた10人ほどの人たちと和風作りのお店でご馳走になる。場所を移し本番の打ち合わせの後、対談相手のデザイナーの工房を訪問。ここにもポスターが貼ってあった。部屋には古布やきものなどを様々に駆使して作られたワンピース、スカート、ジャケット、その他の作品がぎっしり吊り下げてある。いろんな所で展示会をなさる由。「素敵ね」を連発している私に、お好きなものをどうぞと言われたので、あれこれ悩みながら選んだのは、何枚も布をはぎ合わせたセミタイトのスカート。嬉しい。
会場の益田市人権センターの玄関には、NPO法人多文化共生と人権文化主催「一人芝居の夕べ」と大きく書かれた看板が掲げられていた。内容は3部構成で、1部は私の一人芝居「柳ごうりの秘密」、2部は対談、3部は地元の人たち10数人によるチマチョゴリのファッションショーである。
実行委員の人たちが、それぞれの持ち場できびきび動いている様子を見ていると、私も気が引き締まってくる。
舞台の幕が上がった。舞台後方に手話通訳の人が、客席の片隅には要約筆記のコーナーもある。200ほどの客席はほぼ満員だ。客席に気を取られても大丈夫、最初のセリフは口が覚えているから―。多勢の目が私に注がれているのを感じる。時々頷いている人の姿も目に入る。私はどんどん登場人物になっていく。
私は一人で公演に出掛けるので主催者にCDを流してもらうなど、少し手伝ってもらうのだが、心配な曲の入りもタイミング良く入った。だが最後の暗転が打ち合わせ通りいかなかった。私はご機嫌斜めになったが、楽屋でどこかのコンセントから煙が出てひっそりと大騒ぎしていた、という裏でのハプニングを知って気持ちが治まった。
沢山の拍手をもらった。直ぐに着替えて対談の準備。舞台の後方に韓国製の立派な屏風が立てられその前に二人が座り、行李(こうり)をキーワードにして話を絡ませていく。相手の方はおっとりと話すが、私はいつものように沢山喋ってしまった。司会者は軌道修正が大変だったのではと反省している。
3部は地元の人たちのチマチョゴリのファッションショー。子ども、男性もいて照れながらも得意げに舞台に上がっていく。モデルも観客も実に楽しそうな様子を見て、この町の人たちは手作りの良い催しをしているなぁとちょっと胸が熱くなった。
終了後ロビーに出ると私に気づいて、良かったですよと声を掛けてくれる人もいる。
打ち上げはイタリア料理店で10数人が集まり、お互いに労をねぎらっていた。表舞台に出させてもらった上にご馳走していただいて、私は何だか申し訳ない心持がした。
翌日、夕方の飛行機の便までの間に、隣町の小京都といわれる山口県の津和野へ。これまた10人ほどの人が2台の車に便乗して行くという。みなさんと行動を共にするのは、私は嬉しいが何だかすまない気がしてきた。
写真で見慣れた津和野の町を散策していても実感が伴わない。こんな形でこの地を訪れるなんて少し前まで考えたことなかったから。私はきょろきょろしていたが、皆さんはもう何度も訪れているらしく、美味しい饅頭や蕎麦屋を知っていたり、ここは友達の店だから土産はここで買えよなんて言ってる。司会役の女性のお勧めで行った乙女峠には「可憐」と称したくなる小さな教会が建っていた。私もみなさんと一緒にそっと手を合わせた。
夕方、飛行場まで数人の人がお土産などを携えて来てくださった。心にも抱えきれないほど沢山のお土産をもらって機上の人となる。小さな丸窓から空港の風景を名残惜しく眺めているうちに、飛行機は機体をぶるるんと震わせ夕陽に向かって上昇し始めると、先程までみんなと歩いた道が、たちまちぐーんと小さくなっていった。
10年余り前に、益田市が発行した歴史書・行政刊行物に、在日韓国朝鮮人に関する記述に事実誤認と差別的な記述がある、として益田市在住の在日コリアンが記述の訂正を求める要望書を提出した。市側は人権擁護推進委員会を設置して3、4年後にそれらを是正、訂正した冊子を出版した。その問題提起した人から冊子を頂いたが、市は行政としてなかなか立派な態度を示したと思う。コリアンがとりわけ多いというわけでもない地域で、このような人々の意識が土壌にあったから、今回のような催しを成功させたのだろう。
そんな素敵な出会いがあった益田の人から、果物や農産物が送られてきた中にお餅も入っていたのだ。私の今年の重大ニュースの中でかなり上位を占める益田での公演を思い出すとほのぼのした気持ちになる。正月はお世話になったあの人たちの顔を思い浮かべながらお餅を頂こう。
2007年12月30日 00:00