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2008年01月07日

「あの日、あの時―日露戦争と統監政治」≪46≫:鄭容順

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参考資料-----[日韓歴史共通教材]―【日韓交流の歴史―先史から現代まで】
歴史教科書研究会(韓国)・歴史教育研究会(日本)編―明石書店発行。

「日露戦争と統監政治」
■ 第2次日韓協約(乙巳条約)と統監府の設置
日本政府は英・米・露に韓国支配を承認させた後、1905年11月に韓国政府と第2次日韓協約(乙巳条約)を結んで保護国とした。これにより伊藤統監は韓国皇帝に自由に会う権利を得た。また日本は韓国の外交権を奪い韓国政府は日本政府を経ないで他国と条約を結べなくなった。統監は日本政府を代表して外交を管理し韓国での外国領事館に関する事務を扱った。さらに韓国駐屯日本軍の司令官に兵力を使用を命令する権限を持っていた。また日本人顧問を指揮して韓国政府と韓国施設改善に関する協議会を開いて重要法案・政策を事実上決定して韓国の内政全般を支配した。

ここで1995年12月に初版された大韓民国教育部国際教育振興院発行の「韓国史」の教科書を紹介したい。この教科書は在日韓国人子弟が国際教育振興院に語学留学、ここで使用された学生たちの教科書である。
上段はハングル表記、下段の3分の1が日本語訳されている。
前にも1度紹介したこともあるがもう1度紹介をしてみたい。
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「民族の受難」
(1) 日帝の国権強奪
韓半島の独占支配を企んだ日帝はロシアに対し宣戦布告した(1904)。この戦争は両強大国の間に起きたが戦争の目的は大韓帝国の侵略にあったため戦場はほかならぬ韓半島全域に及んだ。露・日戦争が勃発するや大韓帝国は中立を宣言した。しかし日本は宣戦布告と同時に2個師団の兵力を韓半島に送り込みソウルをはじめ主要地域を軍事基地として占領した。そして強制的に韓日議定書を締結させ(1904)韓国民を大々的に戦争に動員した。
日本は戦争を口実に京釜・京義鉄道を早急に建設する一方、数千万坪の土地を軍用地として徴集した。
次いで日本はさらに第1次韓日協約を締結して外交・財政・軍事・警察・学部・宮内部などの実権を掌握する顧問政治を開始した(1904)。そしてまもなく第2次韓日協約を一方的に締結・公布して大韓民国の外交権をはく奪した。大韓帝国侵略の手綱をゆるめず日本はソウルに統監府を設置して外交のみならず内政までも掌握した(1906)、初代統監に侵略の元凶伊藤博文が赴任した。
日本の国権侵奪は韓国民の意志を全面的に踏みにじり強行された。日本は各種の条約を結ぶ過程においてこれに反する政府の大臣たちを脅迫または買収したばかりでなく軍隊を配置して全国を恐怖のどん底へと追い込んだ。
高宗皇帝はこれに対抗してヘーグで開かれていた万国平和会議に李相ソル、李儁、李瑋鍾等を特使として派遣し日本の不法的行為と侵略の事実を広く知らしめ国際与論を呼び起こそうとした(1907)。
しかし悪らつな日帝はこのことに言いがかりをつけて高宗皇帝を強制退位させて純宗皇帝を即位させた。そして韓日新協約を締結し(1907)、政府各部の次官に日本人を任命した実質的な統治権を行使した。また我が国の軍隊を強制解散させ国防力のない無防備の国にしてしまった。
日帝の侵略の果ては警察権と司法権にも及んだ。日本は我が国の警察権と司法権を奪い取り日本の憲兵をして全国の治安を当担させた。そして言論・出版・結社の自由をはく奪して全国を暗黒の社会にしたのちついに名目上の主権までも奪ってしまった(1910)。
日帝の侵略は政治の分野だけに限らず侵略の過程において大韓帝国の貨幣権までも奪い取った。また莫大な土地を掠奪して経済的にも植民地化のもとをつくった。

在日韓国人子弟が真っ白な心で韓国に語学留学をする。日本の学校で習わなかった韓日の歴史を学び日本の学校で学んだことが違うと発見し日本の学校教育であえて意図的に教えなかった部分を発見していく。学生たちは日本に戻ると日本公立学校に設置してある民族学級の民族講師になりまたは自治体、市民団体の国際交流事業や人権学習を通して韓日の歴史の事実関係を伝えていく大きな役割を果たしている。その世代が3・4世である。悲しいことに2世はこうした体験ができなかった。一握りは韓国に留学したがほとんどは民族に関わることはなかった。分断国家の政治とイデオロギーに関わることになる民族団体と距離を置いた。およその1世たちは民族団体に関わることなく2世たちを日本の学校に行かせた。韓日の歴史の違いと史実を知ることになるのはソウルオリンピック開催で韓国に国力がついてからである。韓国の事柄を学びだした。2世は大分遠回りしてやっと親や祖父たちが歩んだ人生をたどることになった。語学留学ができる学生たちをうらやましく見ているのが2世である。子育てを終えて留学したくても年を取りすぎた。また経済事情と家族のこともある。しかし2世も経済事情に余裕のある人は家族の理解を得て語学留学をして日本に戻ってくると日本の高校などで韓国語の講師になっている。やはり語学研修のできる施設は重要であるとまた改めて知る。国際教育振興院は韓国政府と民団が協力して建物を建てて運営をしている。かつて昔は両親が在日韓国人で韓国籍でないと語学留学できなかったが現在は国際結婚をした子弟や帰化同胞も受け入れている。ただ日本人子弟は受け入れていないので語学留学は私立の語学堂、延世大学や高麗大学の語学堂に留学している。韓国語は今やビジネスでも必要とされているので日本人の留学も増えている。
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掲載した写真を見ていると筆者の在りし日の若い頃を思い出す。まだ元気はつらつだった。国際教育振興院は韓国鍾路区東崇洞にある。大学路はすぐ側にある。在日韓国人子弟はここにまず1年語学留学をして韓国の大学に進んでいく。国際教育振興院の奥の方に寄宿舎も立っている。1980年代までは在日韓国人子弟が多く語学留学した。しかし1990年代に入ってからは冷戦構造が崩壊し韓国との国交正常化で中国、ロシアの同胞子弟が多く留学するようになった。世界の流れが変わってきた、また現在は民族学校である朝鮮高校を卒業した子弟たちも多く留学、日本にもどると語学力を生かした仕事についている。こんなことも時代の変遷を感じる。とりあえず「あの日、あの時」のコーナーで古い写真を挿入した。
【写真説明】資料を参考にした韓国政府教育部(現在は教育人的資源部)国際教育振興院の正面玄関の1部です。1995年前後訪韓して撮影。もう1枚は国際教育振興院から頂いた語学留学案内のパンフレットから転載。そしてもう1枚の写真は筆者が始めて訪韓したのが1988年5月、慶州市にも入った。奈良市と姉妹締結した時、日本側は民団奈良県本部が裏方で尽力した。韓国側は日本語が堪能な彼女が通訳に貢献した。(写真左から3人目、筆者は左端まだ43歳だった)慶州駅で撮影。

2008年01月07日 00:14

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