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2008年01月29日
夜間中学は今 (87);守口夜間中学校 白井善吾
高校生の夜間中学訪問(1)
2007年11月7日、守口夜間中学は高校生32人の訪問を受けた。この高校は人権総合学習で地域にある多様な現場を高校生に紹介、訪問先を高校生が選んで、訪問交流を行なう取り組みを実践されている。夜間中学訪問は、今回で7年目を迎える。
高校側で何度かの事前学習を行い、この日の訪問であった。午後4時30分から7時30分の時間設定である。交流は大きく全体交流、学習体験交流、クラス交流と3つの活動より成る。
まず午後4時30分、全体交流が始まる。いつもより早く登校、この日の交流参加を希望した夜間中学生22人が高校生と対面する形で、着席。簡単な紹介の後、3人の夜間中学生が、体験発表を行なった。
『戦後60年を過ぎて』と題して夜間中学生は、静かな口調で、夜間中学にたどり着くまでの自分史を語っていった。「・・竹の節の黒いすすを細かい砂をつけて洗うのですが、手はちぎれそうに冷たい。洗面器のお湯につけては洗うのですが、手はあかぎれでザクロのように割れ、いたくて泣きました。少しでも家族の助けをしたい思いで、がんばりつづけました。気がつけば、学校にも行かず、家族のために自分を犠牲にして、義務教育も受けられませんでした。」「・・これもあの憎い戦争のせいです。あの戦争さえなければ、私の人生も違っていたと思います。このような戦争は二度とあってはならない、未来の子どもたちに何としても、私たちが戦争の惨さ、辛さ、平和の尊さを語り継がなければと、強く思うのです。」と語り終えた。
次にマイクを持ったのは、1936年、9歳の時、朝鮮半島から日本に来た夜間中学生。「・・夫が住む村に軍の徴用命令があって、その一人であったこと、日本に来ても日本語をおぼえる時間はなかったそうです。強制連行されてきたのは、九州の港、そのまま八幡製鉄工場に配属されて、すぐに働かされ、何の自由もなく、本当に毎日厳しくって辛かったことを話してくれました。・・」「夜間中学校に来て知ったのは文字だけではありません。読み書き以外に社会や理科、数学、ローマ字など大いに勉強しました。差別や人権の問題も考えるようになりました。」とはきはきと語っていきました。
『私の人生』の題で残留孤児の夜間中学生が語り始めた。「(中国黒龍江省の)山奥で林業の仕事に就き、昼は働きながら、夜は、中国の漢字を勉強しました。林業局で40数年間働きました。」「小学2年の途中で満州にわたって以来、学校に行くことや帰国することに思いを巡らす余裕はありませんでした。」「私も孫に負けないように夜間中学で勉強しています。しかし、若い3世たちが昼の学校にいけず困っているのを、放って置けない気持ちです。」厳しい表情で発表を終えた。
この発表の後、高校生から質問を受け、夜間中学生が応える形の全体交流が行われた。
午後5時40分、夜間中学の学習が始まる。高校生は、事前に決められたクラスに分かれて入り、夜間中学生と机を並べ、夜間中学の学習を体験する。時には臨時の先生をお願いすることもある。私たちは、“小さい先生”と読んでいる。夜間中学生の息づかいを感じてもらいながら、高校生に教えてもらうのである。夜間中学生も「今日の先生のほうがよう分かる。」と熱心に質問をしている。
7時05分から分かれたクラスごと、7時30分まで交流をする。高校生から、全体交流、授業体験の感想を語ってもらい、夜間中学生がコメントをする方法を取っている。日本語が十分聞き取れないクラスで“小さい先生”を体験した高校生は、ゆっくり、はっきり、簡単な言葉を用いて感想を語っていた。
何年か前のクラス交流で、夜間中学生は次のような発言をした。「これから、皆さんは様々な職業につき、色々な経験をつみ、指導者になる人だと思います。その時、夜の中学で学んでいた夜間中学生がいたことを頭の片隅においておいてください。」
この日も、夜間中学生から高校生に「皆さんの将来の夢について教えてください」と質問があった。
一人の高校生は「夜間学級の皆さんはすごく優しく、また勉強にも熱心で逆にいろいろ勉強の大切さというのが、たった3時間という短い間で学ばさせてもらいました。本当によい経験ができたと思います。今回の経験を忘れずに将来、どこかで役に立てたらいいなと思います。」と語った。
これに応え、夜間中学生は「がんばってね」と拍手を送った。後日、この場面を高校生は「一人ひとり将来の夢について話しました。がんばってねと言われて教室を出てきましたが、まだ一緒に勉強していたい気持ちでした。」と書いていた。
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