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2008年01月29日
編集局からの手紙「音楽と文学」:川瀬俊治
音楽と文学は深く結びついている。日本の古典文学である和歌も俳句、連歌も声に出す、韻を含む。近代文学とて同様で、最近出た高橋英夫の『音楽が聞こえる』(筑摩書房)には作家、詩人と音楽の結びつきが書かれている。
本来、読書は個人が黙読するものではなく、声に出した集団(小集団)で一人が読み上げた。それが個々人が黙読するようになった。近代はその作法を生み出した。読者の誕生である。この流れを押さえて論究されたのが大澤真幸の『ナショナリズムの由来について』(講談社)。逆に読むと、作家、詩人が音楽を切り離された存在では本来ない。創作者はいてもたってもおられず、音楽を求めることになったのではないか。
ニーチェとワーグナーは有名だが、ドイツ音楽についても発言している(「善悪の悲願」)。「滅びゆく道徳世界ははるかに色あせる」とニーチェは音楽の魔力を述べている。高橋英夫の著では十人の詩人が出てくる。萩原朔太郎、北原白秋、中原中也、宮沢賢治、高村光太郎らだ。宮沢賢治はベートーヴェンの「皇帝」を聴いて霊的な雰囲気が漂い出したとある。凄まじい「音楽的デーモン」とある。ニーチェをどこか彷彿とさせる。賢治の情念は『春と修羅』に結晶する。
バッハの協奏曲を聴いた高村光太郎は世界を鳴らす感銘を受けたという。詩「ブランデンブルグ」はこうして誕生する。智恵子との「言葉なきうた」の境界をこえて「元素智恵子」を書くことになる。
現代作家では大江健三郎と武満徹との交流はよく知られている。武満の後期のピアノ曲を大江は高く評価している。音楽の純粋さ、透明さは、作家、詩人が追及するテーマと共鳴する。
音楽家と作家という逆の結びつきもある。決まってその作家は根源的なテーマを追及した作家である。社会的発言をしてきた作曲家高橋悠治はかなり前に出た本だが『カフカ 夜の時間』(晶文社)で書いている。病気療養中の病院のベットで読んだのはカフカであった。原語の意味まで探求する姿は作曲家がいかに根源に迫る存在かを示す。
作家五味康祐(1921-1980)のクラッシックの造詣は並々ならぬものがあったが、いまのネット配信の音楽をどう聴くだろうか。音楽に満ちた現代はいつもデジタルなのだ。しかしデジタル化の発達とは逆に、「いま、ここ」の共振を求める人たちを生み出してきていることはたしかだ。ストリートミュージシャンの出現はそれを意味する。そこから「こぶくろ」の2人が出た。時代をそう読む。
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