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2008年01月30日

東大寺と渡来人:山川登

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智識寺〔10〕
 パネル展の写真解説を一通り聞いて、映写機の設置してある椅子席で待機した。パソコンとプロジェクターがやっとマッチングしたようで、CG上映が始まった。その解説の大要は次のようだった。
写真 コンピューターグラフイックで復元された智識寺

 大和の太郎(奈良・東大寺)、近江の三郎(近江・関寺)、そして、河内の次郎(智識寺)といわれて、昔、三大仏といわれて、智識寺の大仏は、東大寺の大仏についで大きかったと言われている。関寺というのももう現存しない。
 大仏をCGで復元してみると、一八メートルにもなった。これでは東大寺大仏よりも大きくなるので、高麗尺(通常のサシの七〇パーセント)で計算すると一二メートルになり、下の台座をいれると、一四、五メートルになる。
 柏原は当時、都市という感じで、七~八〇〇〇人が住んでいた。大和川は今は生駒山と九〇度の角度で大阪湾に注いでいるが、当時は生駒山に沿って南北に流れていた。すると、山からすぐ大和川(石川)になるから、耕地が少ないということになり、食料の消費地ということになる。そして、多くの人を収容できる施設もあっただろうし、その当時の最高の建物、先端の建物があったということになる。
 智識寺はいま太平寺廃寺跡とされているが、知識寺のCG再現に取り組んでいるのはみな平均年齢六五歳のメンバーで、六五歳を過ぎると目が見えないなど、なにやかやと苦労した。
 野中寺(藤井寺市)と同じものであろうということで、それを参考に回廊、中門、礎石などを復元した。塔は二塔あった。その塔を復元するのに苦労した。部品一つ一つ積み上げた。その部品一つ作るのに一週間ぐらいかかり、一日八時間で、二ヶ月間要した。柏原東高校の公開講座を受けて、メタセコイアというソフトを使用している。柏原東高校の先生にも手伝ってもらった。部品が一〇〇〇ぐらいになった。

2008年01月30日 06:53

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