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2008年01月30日
映画「サルサとチャンプルー」について:波多野哲朗
ドキュメンタリー映画『サルサとチャンプルー Cuba/Okinawa』の波多野監督が映画公開に先立ち解説とも言うべき一文をジャーナリスト・ネットに寄稿されたので紹介する。(この項片山通夫)
映画上映の予定
2008年2月7日(木)にアップリンク・ファクトリー(東京・渋谷)
2月9日(土)~22日(金) 桜坂劇場(沖縄・那覇市)
東京での一般公開は アップリンク劇場にて5月連休明けから数週間。
それに続いて 大阪・シネヌーヴォ劇場にて数週間公開予定。
「この映画について」:波多野哲朗
『サルサとチャンプルー Cuba/Okinawa』が完成した。製作期間7年、と言えば聞こえはいいが、素人の映画作りだから能率が悪く、どんどん時間が過ぎていった。日ごろは芸術系の大学で映画の理論や歴史を教える研究者の私も、映画機器の操作となるともう赤子同然で、多くの教え子たちの助力を仰がねばならなかった。しかし、7年がかりの映画づくりだからこそ見えてくるドラマもあった。その間にも、こどもが誕生して、みるみる成長をとげる一方、老人は確実に衰え、死んでいった。日系キューバ移民一世の最後の生き残りだった島津三一郎さんと宮澤カヲルさんとは、数年越しのインタビューを通じてその貴重な体験に触れることが出来た。その宮澤カヲルさんも2007年3月に逝去され、満100歳の島津三一郎さんが、ただ一人の生き残りになってしまった。
2000年3月、私は東京からアメリカ、メキシコを経由しての2日がかりの長旅の末にキューバにたどり着いたが、そこからさらに6時間ほどの船旅を経て、松島(正式名は青年の島)という離島に渡った。この島に来たのは、さきの2人の移民一世に会うためだったが、ここにはかつて百数十人もの日本人が住んでいて、その多くが帰郷の夢を果たせずに死んでいったことを知った。この島は小説『宝島』のモデルとなった島でもあり、中心からはつねに不可解な暗さに覆われた辺境・周辺として位置づけられてきたことは明らかだった。実際この島はながらく流刑の地だったし、いまなお巨大なドーム型のパノプティコン(一点監視方式)の監獄跡が残っている。しかし私を最も驚かしたのは、これに隣接する建物に、第2次大戦中、キューバにいた日本人成人男子全員が収容されていたという事実であった。大戦中のアメリカやカナダの強制収容については、日本でもしばしば語られているが、キューバに関してはその存在についてすら語られることは稀で、ましてや収容所が刑務所と同じであったこと、また家族を分断しての収容がアメリカなどの全員収容よりもはるかに残酷な仕打ちであったことなどについては、まだ語られていない。(初出・日経)
2008年01月30日 08:51