2008年02月27日
東大寺と渡来人:古代ロマン塾 山川登
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〔14〕 審祥(しんじょう) ③
「新羅へ留学した日本人僧」と
昔は新羅僧という説が有力だったが、今はいろいろな記録から、日本人僧が新羅へ留学したという説になっている。とはいえ、決定的な証拠というわけでもないようだが、くわしいことは書面で申し出ていただければ、書面でお答えする。
◆写真は大安寺本堂
文字とかに間違いがあったらいけないので、聞きたいことを箇条書きにして、またどういうところに載せるのかも書いておいてほしい。そうすれば、こうこうこういう説もあるということまで返答したい。東大寺にも図書館があるから調べてみるが、審祥は新羅にいって、唐にいったという記録が残っている。
審祥という方の位置づけは、ゲストとしてきてもらったということで、東大寺のお坊さんではないから、審祥にちなむ建造物や法要は何もない。ただ大安寺にいたということだけはわかっている。大安寺は今もある。何回も焼かれて、規模は小さくなっているが、いまは高野山の真言宗の方に属している。
大安寺は、むこうから来ていただいた方、たとえば、インドのボダイセンナとか、留学僧というか、そいう方が入る所で、大安寺はそういう方をお迎えするセンターでもあった。だから大官大寺といわれ、いわば、仏教関係の国立の迎賓館だった。
聖武天皇が仏教を柱にということで、一番大事なことが書いてある華厳経を勉強しなければならないということになり、最初は興福寺からきてもらって講義をしていた。だから、審祥をリーダーに興福寺のお坊さんに何人かきてもらった、という記録は残っている。
ということから、華厳経を学ぶ組織が出来上がって、華厳宗の根本道場となった。東大寺は、華厳経だけの道場ではなく、六宗の道場だった。六宗(りくしゅう)とは、法相宗 (唯識)、三論宗 (中論・十二門論・百論)、倶舎宗 (説一切有部)、成実宗 (成実論)、華厳宗 (華厳経)、律宗 (四分律)の六つのことで、一つの寺が一つの宗派ではなく、奈良時代から江戸時代までの国立寺院は、六宗があって、大学でいえば学部のようなものだ。平安時代になって天台宗や真言宗がでてきて、鎌倉時代、明治時代になると、さらに多くの宗派ができた。
2008年02月27日 10:53