2008年02月27日
本澤二郎の社会評論「日本の文化」:本澤二郎
[東京=「ジャーナリスト同盟」通信提供] 可能なら海外に出ていきたい、と思い詰める日本人がいるという。実際、資金のある者にそうした日本人がいる。しかし、多くの日本人にはそうした優雅な人生を約束してはくれない。ともかく、日本にいると新聞・テレビ・ラジオから雑誌、はたまたインターネット情報などが氾濫しているから、必然的に見たり聞いたりすることになる。精神衛生上、よくないのである。
悪しき事案は、日本の文化・伝統文化といえるものかもしれない。さまざまな事件・事故に対する関係者の態度に、必ずやうんざりさせられるのである。この国の為政者らは、倫理や道義・正義・公正という人間社会の基本的約束・ルールがないか軽視しているからだ。
たとえば2月27日の報道では、最新鋭のミサイル軍艦「イージス艦」による痛ましい漁船衝突事故について、最高責任者の石破防衛大臣のうそつき発言が判明した。事故当時こっそりと同艦の航海長を呼びつけて事故の隠蔽工作をしていた。おぞましい恥ずべき行為であるというのに、それでも当人は辞任しようとはしない。
二人の漁船員が亡くなっている大事故というのに、それまで姿を隠していた艦長が10日も経って、ようやく被害者の家に謝罪訪問した。おごりもきわまっている。人命軽視もはなはだしい。血税をたっぷりと平らげている公人の態度ではない。
恐ろしいくらい往生際が悪いのである。総理大臣が現場を訪れて、関係者を叱咤するという当たり前のことすらしていない。これも日本の伝統的文化なのか。
うそと隠蔽というと、医師の世界もそうである。重大事故が裁判に持ち込まれても、率先して過失を認めようとする医師は、この日本には存在しない。いたらお目にかかりたい。過失を公表することは、事故の再発防止に役立つのだが、日本の医者にはそうした観念がないのである。同じ事故が繰り返されることになる。
救急医療患者の入院を拒む病院が目立つ。危険な治療から逃げる医師、金にならない診察はしない、などの医療現場も気になる日本の社会現象である。
日本社会を根底から不安に陥れた年金問題で、真実を告白・謝罪したという役人は一人も出ていない。日本経済の衰退の因は、中曽根内閣のバブル経済政策にあるのだが、当時の政治家・官僚の一人も責任をとっていない。うそと隠蔽に、無責任が日本の誇るべき文化・伝統文化なのだろうか。
これが歴史的事件の場合は、より重大で深刻である。リベラルな政治家や官僚は歴史の教訓に、なんとか向き合っているが、右翼・国家主義者のそれらは、隣国人の寛容さを逆手にとって過去の正当化に熱心である。歴史を直視しないものは、また繰り返す心配があるので始末がわるい。
27年前の保険金詐欺・殺人事件に関係したとされて、サイパンで逮捕された三浦という人物は、貧しい加害者にしか許されない公選弁護士を「自分にもつけろ」と主張している。裁判官は仕方なく「あなたには金がある。私選弁護士にしなさい」と言い渡した。日本人として情けない。 2008年2月27日記
2008年02月27日 16:19