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2008年04月01日
<ジャ同エッセー>在日韓国人元政治犯の名誉回復はいつ?李佐永・元「家族・僑胞の会」会長死去が残した課題:長沼節夫(ジャーナリスト、写真も)
(写真)「李佐永先生を偲ぶ会」で話す郭東儀氏。(29日、東京・学士会館で)
「東京=[ジャーナリスト同盟通信」提供]東京が桜満開を迎えた3月29日、千代田区神田の「学士会館」で韓統連呼びかけによる「李佐永先生を偲ぶ会」が開かれ、150人近い人々が出席した。とにち李氏は1928年韓国全羅北道生まれ。戦後単身来日して事業を始め、ソウルにも貿易関係の会社を立ち上げた。しかしこれから本格的に事業展開をしようとした矢先の74年3月、韓国中央情報部(KCIA)が発表した「鬱陵島スパイ団事件」の首謀者とされ、本人は日本にいたために逮捕は免れたが、韓国では学者・牧師ら47人が逮捕・拷問された。当時は朴正熙軍事独裁政権とKCIAが民主化運動を圧殺していた時期で、71年「徐兄弟事件」、73年金大中拉致事件に次いで74年5月には人民革命党事件(60年代の事件を民青学連事件の背後勢力として再逮捕し、翌年、死刑判決を下した翌日に8人を処刑してしまった)、75年4月民青学連事件(253人逮捕・180人起訴)、同5月労働党員事件、同11月学園浸透スパイ団事件と次々と事件をデッチ上げ、発表していった時代だった。
李佐永氏は「鬱陵島事件」が発表されると、日本の国会内で宇都宮徳馬、田英夫議員らと記者会見し、「自分は北朝鮮とは全く関係がなく、逮捕された肉親・知人も無実」と語り、翌年、自分が罪に問われた同事件だけでなく、広く一連事件での被害者の救援を目指す「在日韓国人政治犯家族協議会」を結成して、会長となった。更に77年には「KCIAによるでっち上げ被害者支援の手は在日韓国人だけではなく、広く本国政治犯にも差し延べるべきだ」として、「在日韓国人政治犯を救援する家族・僑胞の会」も結成し、同会が93年に「発展的解散」するまで会長を務めた。前述の人民革命党事件などでは処刑者を出したが、6人の死刑囚を含む15人の在日韓国人政治犯は1人の処刑者も出さず、釈放させた裏には、李佐永氏の物心両面にわたる、地道な運動が大きく寄与したに違いない。その李氏は今年、1月、多臓器不全により、東京で死去、81歳だった。
「偲ぶ会」は黙祷・献杯に続いて、日本人の側から救援運動を支えた「在日韓国人政治犯を支援する会全国会議」の吉松繁会長(王子北教会牧師)、国会側から支援した佐々木秀典元代議士(現在は旭川市で弁護士)、長年の同志だった郭東儀・韓統連顧問、崔哲教・元在日韓国人政治犯らが挨拶。崔氏は「死刑囚だった私が生きて日本に戻れたのは、李佐永先生のおかげ」と語った。崔氏は75年に逮捕されて死刑判決を受けたが、獄中16年の後、90年に釈放・帰日した。
筆者が李佐永氏と初めて話したのは1984~5年ごろ、当時担当していた国会クラブ(社会部)から米国の留置場に捕らわれていた李氏に国際電話をかけたときだった。韓民統(当時)から記者クラブに「李氏がコペンハーゲンからニューヨーク入りした直後、あなたには韓国政府から身柄拘束の要請が来ているとして収監された」という連絡があり、「留置場には電話がかけられる」という情報もあった。韓国の政権は朴正熙が暗殺された後、クーデタで政権を簒奪した全斗煥軍事独裁政権の時代だった。「時事通信」記者だった筆者は当時、同じ記者クラブにいた「共同通信」の村岡博人記者と交替で、毎日のように獄中の李氏に電話取材して励まし、やり取りを記事にして流した。そもそも「鬱陵島事件」自体に関心の薄かった日本のマスコミ界にあっては、「李佐永氏、米国で収監」という記事も大したニュースとは扱われず、新聞に載ったかどうか。しかし村岡先輩は、この際、「共同」と「時事」の流した記事が新聞に載るかどうかは大した問題ではない。「時事電」も「共同電」も丹念にチェックしている米国政府に対し、「日本は李氏収監を重視している。ここで韓国の軍事政権の要請に応えて無実の在日韓国人の身柄を韓国に送還したら、それは米国民主主義の恥になるぞ。米国は李氏を解放し、無事東京に戻すのが正しい」というメッセージを送り続けるべきだと言った。1週間後に李氏夫妻が無事日本の土を踏んだとき、筆者は村岡記者と二人で祝杯を上げたのだった。
数年前、村岡記者と李佐永、郭東儀両氏と筆者の4人で箱根に1泊旅行した際、筆者は李氏が米国で収監された当時に流した記事のコピーを見せて、「今は昔」を回想したものだ。
しかし今はまだ、本当は回想に浸っている時期ではないのだ。
この日の「偲ぶ会」で矢張り元政治犯だった李哲氏は、「韓国は民主化されたというが、まだ国家保安法が残っている。昨夜会った獄中同志は、釈放後なのに同法に基づいて、当局の訪問を受けたといい、今も再収監の不安を感じている」と語り、また郭秀鎬・元韓統連副議長も、「韓国では民主化の進展に伴って、70~80年代の治安事件が次々無実とされ、元被告が名誉回復された。しかし在日韓国人の名誉回復はまだほとんど手付かずだ。盧武鉉政権は更に過去事件見直しを進めたが、在日はここでも取り残された」と話した。
李佐永氏が逝ってしまった今、これらの課題克服は生き残った我々の仕事といえる。(了)
2008年04月01日 02:21