2008年04月29日
寄稿「マキハダづくりを追って」Ⅷ:福島俊弘
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マキハダ(槙の樹皮・マキハダ)について研究している天理市立北中学校夜間学級(夜間中学)の教員、福島俊弘さんのレポートを紹介しています( 毎週火曜日に連載-鄭容順)
前回に続いて「生産地の分布」です。
マキハダについて調査された数少ない資料の中に、『あるく みる きく』(日本観光文化研究所 1988年5月所収の「特集:瀬戸内の槙皮船」がある。〓横山浩子「マキハダ―県内における桧皮繊維利用の一例―」)〓(『民俗博物館だより』85、奈良県立民俗博物館、2001年)〓そこに書かれている記録を参考にしながら筆者が行った調査について略記する。
(4)伊勢
伊勢市にある『吉川まきはだや』は1978年(S53)年頃廃業しているが、4代にわたって続けられてきた。勢田川の河口に位置し、工場の目の前の川から海まで約1kmである。檜の皮でも潮風に当たって年輪が細かい木を選んで綯った。室は、皮を束ねたものを3尺6寸×2尺のセイロに入れて蒸していた。途中で、焦げ具合を見ながら裏返していた。製品は、鳥羽や浜島、大湊の造船所や船具店に降ろしていた。3代目の仲蔵さんの頃には同業者が近くに2、3軒あった。後期には桜井から皮の仕入れもしたという。
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(5)尾鷲
『尾鷲市史』下巻(1971年)の「統制下の工業」の頃に、「木造船に必要な捲絮工業は、尾鷲町の特色あるもので、昭和二年伊藤捲絮工場が創設された。良質の捲絮で名声が高く、戦後は韓国にも輸出したほどで、現在もわずかであるが操業している」とある。この捲絮工場は、3代目の伊藤道浩さんが1971(S46)年頃まで操業していた。初代は、高野山出身の宇之助さんが1921(T10)年頃に坂場町の北側の西側で始めた。紀勢線工事をしていた朝鮮人が、工事が終わってから捲絮の職人として仕事をしていた。尾鷲捲絮工業所桜井工場が1960(S35)年頃まであって、3人が働いていた。
⊿お断り⊿2001年、奈良県立民俗博物館「民俗だより」85、民俗を博物館だよりVol34 No2(通巻99号)から。奈良県立民俗博物館だより(通巻100号)原稿から。
*参考資料は横山浩子「マキハダ―県内における桧皮繊維利用の―例―」(『民族博物館だより』85、奈良県立民俗博物館2001年)。
本稿の「朝鮮人」とは朝鮮半島出身者を総称として使用。
【写真説明】写真と写真説明は寄稿の福島俊弘さんです。1枚は1920年代から44年、5年間操業していた川沿い/三重県尾鷲市、もう1枚は線路の築堤に桧の皮を干す1970年代-------原稿をセットアップしはている鄭容順は子どもの頃、写真とよく似た風景の写真がある。桜井に住んでいた従姉妹たちと桜井市戒重で撮った。1950年代の後半だった。
2008年04月29日 00:41