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2008年05月03日

チベット問題は日本問題を見直す契機になし得るか:中山敏雄(JLJ会員/嘱託警備員)

[東京=「ジャーナリスト同盟」通信提供]

チベット問題は日本問題を見直す契機になし得るか

      ――廉徳瑰論文への感想と日本のあり方について――

 さる4月27日付で、中国・上海国際問題研究所日本研究室副主任・廉徳瑰副研究員の「チベット問題の由来」と題する論考が本会ネット上に掲載されていた。

 4月8日付でやはり本ネットに「チベット問題と日本」と題して日本メディアの報道の隙間に焦点を当ててみた立場からすると、小生のような一般在野の人間が接し得る中国専門家側からの数少ない、詳細な背景説明、分析として先ず以って敬服する次第である。
 無論、廉論文が小生の小文などに触れているわけではないが、小生としては同論文に啓発されたついでに若干の感想のみを述べさせて頂くと同時に、拙論をもう少し敷衍して日本の真の「民主」確立問題として日本のあり方を考え、会員諸氏のご参考に供したい。

               ※

 先ず、ダライ・ラマ(蒙古のアルタン汗が定めたダライは大海、ラマは師の意と紹介したが、それが蒙古語で、チベット語ではないことにネット文では触れなかったので、今補足させて頂く)亡命政府と中国中央政府とのやり取りについては、これまで一般の日本メディアを通じては詳細不明であった(第一、本来有力な情報源たる日本の政府、外務省などは、勿論豊富な情報を有しているのかもしれないが、戦前同様、「民は依らしむべし、知らしむべからず」の体質である)が、お陰で纏まった見解に接することが出来た。
 次に、廉論文では所謂「大英帝国」のチベット(西蔵)侵攻や米国のチベット政策などについて詳細な論述がなされているが、小生ははしょってしまった。しかし、19世紀英露の中央アジアを初めとする世界的角逐などをも説明すべきであったかもしれないと反省する。アフガン然り、満州(今の東北。日露戦争、日英同盟の歴史に関連)然りで、ここチベットもその一舞台であった。英軍に追われたダライ13世は確か露国に保護を求めたのではなかったか。
 第3に、民族矛盾の問題であるが、拙論の目的はその意味を掘り下げたり分析したりするものでなく、多数派民族と少数派民族との共存、少数派民族への十分な配慮を望んだものである。
 旧ソ連・東欧や中国などの民族問題、民族政策については、もう20年ほど前になるが、丸山敬一中京大学政治学教授の『マルクス主義と民族自決権』(信山社刊)と題する金字塔的論考があり、民族自決政策や民族自治政策だけでは民族問題の十全な解決は難しい、とする同教授の問題提起を記憶していたので、小生などの容喙し得るところにあらずとして論及しなかったのでもある。しかし、今回、計らずも中国側の見解に接することが出来、裨益するところ大であった。
 第4に、日本で非常に大きく取り上げられている改革開放以後の急速な市場経済化に伴う歪(ひずみ)としての面に関しては、廉論文は触れられず、武装叛乱後の亡命政府側の内外における一貫した策動を挙げられている。実際、それは事実を以ってする客観的なものと受け止められ得よう。小生などでも、ダライ側近が亡命後間もなく来日した話などをチベット学の教官から伺ったものである。所謂東トルキスタン独立運動なども、ダライ側と連絡があるとメディアで公然と認めている。
 ただ、それを以ってしても、一般チベット民衆が相当大規模に暴動に参加したことに大きく注目する日本の進歩的人士を含む多数世論を納得させるにはなお十分とは言い切れないところが残るように感じられる。官僚主義はもとより、貪官汚吏、佞姦が日本以上に存在すると伝えられている当世の中国のことであれば、日本など西側メディアや民衆の興味や関心を呼ぶこのあたりの事情は、是非を問わず、出来れば論及された方が我々日本の読者には有難いところであったろう。このあたりは日中で大きく見解を異にするするところかもしれない。
 (なお、中国共産党の歴史などでは「暴動」の語を普通に使うが、日本では「暴動」は悪いことと決め付けて使う傾向がある。尤も逆に「魁」の語などは中国では悪漢の首魁とされるのに、日本では『秋田魁新報』があるように「さきがけ」として肯定的に使用されることもある。こうした些細な差異も微妙な齟齬を生む一因になり得るようだ。)
 つい最近、青海省で、暴動に参加した遊牧民が追跡される途中、同じチベット族の武装警察隊長を銃撃、射殺し、自らも隊員らの反撃を受けて射殺されるという事件が勃発したと伝えられる。やはり、銃火器を使って殺し殺されるという事態にまで発展したということであろうか。
 いずれにせよ、本会ネット上で廉論文のように優れた論考に接する機会を得たことに心から感謝したい。

               ※

 さて、翻って日本の側の問題であるが、チベット問題について朝野を挙げてこれほど騒がれながら、ではそれを他山の石として日本の内部を見詰め直すということには繋がっているのであろうか。正直、到底そうは思えない。
 わけても日本の所謂進歩的人士の間に、少数民族としてのチベット民族への同情が圧倒的に強いことは、紛れも無い事実であろう。それでも、では日本ではいかがすべきであろうか、という問題にはどうも結び付いているようには見受けられない。
 筆者は前稿で琉球とアイヌの例を挙げておいたが、実は今日の日本にとっては米駐留軍の存在こそ民族のアイデンティーを汚す基本的問題ではないかとも感じている。
 最近、自衛隊のイラク派遣(派兵)に関して、限定的とはいえ違憲判決が出されて確定した。勿論、日本の実際権力を持っているのは裁判所ではなく、憲法など建前で一片の紙切れに過ぎず、またよしんば武力の保持自体が違憲とされたとしても、制服・背広含めて30万近い防衛庁・自衛隊という実力集団を解散させる力など、裁判所を含む日本の他のどんな集団・勢力も持っていないということも、現下の冷厳な事実であろう。派遣違憲判決が自衛隊の存在を否定する判決でないことも事実である。
 しかし、今や敗戦以来2世代を過ぎた。人間になぞらえれば還暦を過ぎたのである。しかも既に新たな21世紀に突入した今、ここいらでこれまでの60年を総括し、今後60年の日本のあり方を根底から問い直してもいいのではないだろうか。
 日本の左右を問わず、戦後米政策の下で「繁栄」と「自由」を謳歌して来た(あるいは惰眠を貪って来た)事実はあるが、だからといって今後の2世代もこれまでの延長上で行くとは誰も考えてはいないであろう。
 ならば、国家百年とは言わないまでも、せめて60年、あるいは21世紀前半を見通す国家、民族の戦略的あり方を考えなければならない秋(とき)ではないのだろうか。
 イラクの現状と比較すれば、敗戦後、人口約7500万の「軍国」日本、「尚武」の武士道国家日本を管理・支配するのに50万の米軍で済んだのは、奇蹟的とも言うべきものであったかもしれない。しかし、再軍備の結果、警察予備隊から始まって半世紀、世界屈指の自衛隊(諸外国からは普通「日本軍」と見られている)に成長したとされる今日でも、前稿で指摘したように、米軍は日本要地に日本人要員約2.5万を含む7万の兵力を配置しているのである。アフガン、イラクと比べても兵力数の重さが知られよう。
 かつて沖縄配備のメースB中距離核ミサイルの一部が本土を狙っていたとされるように、昨日までの敵国日本に対し戦勝国米国が統制に腐心し、万が一を警戒するのは国家として理の当然とも言えよう。以前、日本紙が報道しないのに中国紙によって、米国が再び日本を仮想敵国とする研究を始めたと報道されたことがある。
 所謂オレンジ計画などを引き合いに出すまでもなく、主権国家としてそれは当然のことであろうが、では日本は政府・自衛隊のどこに米国を仮想敵国として研究している組織があるのだろうか。地理調査所(国土地理院)に軍用地図を作成させた米軍に比べて、戦後日本では米本土やアラスカの軍用地図の作成など発議することすら許されていないのではあるまいか。
 恐らくそれが「民主」や「自由」を謳歌する主権国家(実は「主権喪失国家」とでも呼ぶほかない)日本の実態であろう。そして、所謂「守屋次官」など個別の官僚をあげつらってみても無意味であろう。或る防衛庁元高官は、所詮自分達は「令外官」(りょうげのかん。律令制下で令に規定された以外の官で、戦後政府下の防衛庁を象徴する)だから、と筆者に話されたことがある。
 日本政府・与党側としても、米ソ冷戦を理由に占領軍から駐留軍への名目変化だけで占領の継続を許し、冷戦崩壊後は、アジア太平洋の新時代に資すものとして日米安保体制を継続した。
 しかし、国際関係で永遠の敵国もなければ永遠の同盟国もない。無論、永遠の「属国」(米高官の言)もないはずである。
 そもそも、日本がこのまま米国と二人三脚で行こうとしても、世界情勢の演変、米国事情の変化などがそれを許すであろうか。米民主党の次期大統領候補選出を巡って鎬を削っているのが、女性候補と少数人種の黒人候補であるという事情を見ても、米本国の政治、社会情況などがいかに急速に流動しつつあるか、眼を見張るばかりではないか。2世代どころか1世代後の米国の姿でさえ容易には推量し難いであろう。国際関係の常として、戦略的必要性が無くなったと判断されれば、我が国の側からでなくとも米国の側から廃棄を提起されることさえあり得よう。
 ASANや所謂BRICs、拡大EU、アラブ諸国などの動向も、日本として細心の注意を払いつつ見守って行かなければなるまい。ただしかし、タイやインドネシアなどの地にまで近代的製鉄所や化学プラントなどの建設計画が伝えられる最近の情勢は、かつての韓国、台湾などの近代化を追う道ともなり得るもので、やがてはアジア、世界の戦略構造にも影響を及ぼすであろう。
 日本自身としては、いまだ台湾、朝鮮など冷戦の名残もあり、北方領土、尖閣(釣魚)、竹島など領土問題も抱えている。北方領土問題に関する米国の企図や作用などに関しては、評論家本澤氏がつい最近、本ネット上で鋭く指摘、紹介されており、筆者などの贅言は要しまい。(また、日本政府・与党側の戦略的動向については、昨年本ネットで取り上げさせて頂いたこともあるので割愛する。)
 いずれにせよ、長期的視野、戦略的着眼で日本の今後を考え、この際、朝野を挙げてチベット問題に情熱を注いでいるのと変わらぬ熱意で我が日本の問題にも眼を向け、とりわけ世界史に稀有な外国軍による2世代もの占領、駐留をいかに終了させるかという主権国家の基本に係る問題についての論議を深めるべきではなかろうか。
 それは決して米国に対して太平洋戦争の復讐を図ったり、政治、経済、軍事で対決路線を取ったりすることではない。2、30年後にもし米中の力関係が逆転したら、今度は中国の方になびこうかといった話でもない。民族の尊厳を取り戻し、真の「民主」を実現するものである。
 それには、主権在民の日本人自身が皆自らの頭脳で何を為すべきかを考え抜かねばならず、また自ら労を取り、痛みをも甘受することを厭ってはなるまい。しかし、歴史の潮流を正しく見定め、かの作家ジイドが説いたように「狭き門」より入る覚悟があるならば、我々日本人自身の力で日本の進路を正しく導くことが可能になるのではあるまいか。
                              (2008.05.02 記)  

 

2008年05月03日 13:23

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