2008年05月06日
寄稿夜間中学その日その日(1):守口夜間中学 白井善吾
「財政再建の美名のもと誇るべき“人権黒字県”として大阪が長年築き上げてきた、セーフティーネット部分を蹴散らす、PT案を断じて認めることはできない」「PT案は夜間中学生をはじめ関係者に丁寧な説明を行うこともせず、梯子を外すにひとしい行為ではないだろうか」と書かれた橋下財政「改革」の姿を夜間中学の現場から告発する。どうか読んでいただきい。夜間中学からの訴えを!
夜間中学のある日の出来事に関連させて、考えていることを書いていこうと思う。執筆者は持ち回りで,変わっていく。
夜間中学の就学援助制度
この2月就任した橋下大阪府知事は府債残高5兆円、年間約1000億円の財源不足を示し、大阪府の財政改革を行うと表明。7月までの暫定予算を決め、本格予算は8月以降に行うとして府改革プロジェクトチーム(PT)を発足させた。
4月11日PTは今年度1100億円の支出減、「35人学級の廃止」のPT案を発表した。
この中に夜間中学の就学援助制度、補食給食の府補助金そして識字教室の交流や、識字運動促進体制を担っている、おおさか識字・日本語センターの府の負担分を予算化しないなどが含まれていた。
財政再建の美名のもと誇るべき“人権黒字県”として大阪が長年築き上げてきた、セーフティーネット部分を蹴散らす、PT案を断じて認めることはできない。
夜間中学の就学援助制度は夜間中学生、卒業生、市民の運動によってこの大阪で創設された制度である。1969年大阪市の天王寺、岸和田市の岸城夜間中学が開校、翌年誕生した大阪市菅南(現・天満)夜間中学が開校した。
希望に燃えて入学したものの、学業と仕事の両立は難しく、休む夜間中学生も多く出てきた。とりわけ、一度行きたい!といっていた修学旅行も、費用も高く、会社を休んで参加しなければならないとの理由から不参加を表明する夜間中学生が多数あった。
どうすれば、参加できるか。当時の夜間中学生、教員は「やっぱり、修学旅行には参加したい」一人の呟きを大きな声、取り組みに組み立てていった。夜間中学生、卒業生、教職員、一般市民で組織された「夜間中学を育てる会」に問題提起、要求運動を展開した。
学齢児童生徒の就学援助制度は 学用品・通学・修学旅行の費用を国と設置市区町村が1/2ずつ負担する制度である。文部省の回答は「夜間中学には国が負担の就学援助制度はない」「就学奨励に関する国の援助対象はあくまでも15歳までの学齢の児童生徒」との姿勢を崩さなかった。
「夜間中学生は学齢時に受けることのできなかった学習権を学齢を過ぎた今、行使しているんだ」「学習権は15歳を過ぎたらなくなるんですか」「留保していた権利を今行使しているんですよ」「学齢時、受けることができなかったのは誰の責任ですか」・・夜間中学生は国のかたくなな姿勢を論破していった。
一方で夜間中学を育てる会は大阪府にも夜間中学の教育条件の改善を要求して取り組みを展開した。昼の学校とは大きく異なる、夜間中学生の広域からの通学などを考慮し、国負担分を大阪府が負担するとする決断をおこなった。1972年2月16日、現行の夜間中学就学援助制度が決定した。
2008年3月府議会に提出された予算案は、今年度7月までの暫定予算で、就学援助、補食給食が“ゼロ”であることが明らかになって以来、このことは、夜間中学の根幹を揺るがす暴挙ととらえ、夜間中学生、教職員は2007年と同様の実施を求め、取り組みを始めた。
苦しい家計をやりくりして、学ぶ喜びをよりどころに、遠路広域から夜間中学に通学している。38歳をはるかに越えた、高齢者が多くを占める。
私たちは義務教育の完全保障を求めて、学齢を超えた年齢で今学んでいる。一方で夜間中学は昼の子どもたち、その保護者、高校生、大学生、社会人そして多くの学校の先生たちに夜間中学の学校公開を行い、夜間中学生は学びを、自分史を、日本の現代史の生き証人として、身を曝して、語りかけている。この観点から夜間中学の存在意義は大きく評価が進んでいるところである。
2005年9月、守口市教職員組合と大阪府教職員組合は夜間中学の就学援助制度の改善を文部科学省に働きかけるよう、大阪府教育委員会に申し入れを行っている。
PT案は夜間中学生をはじめ関係者に丁寧な説明を行うこともせず、梯子を外すにひとしい行為ではないだろうか。財政再建の美名のもと、セーフティーネット部分を蹴散らしてもいいものだろうか。再考を強く求める。
2008年05月06日 12:06