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2008年05月27日
エッセー ゲイジュツへの憧憬:朴明子
その日は睡眠不足なのに頭が重くなかった。前日のようにめまいもひどくない。ならば、かねてから迷っていたフィラデルフィア管弦楽団の演奏会に行こうという気になって、チケットが取れるか確認してみたら、やっぱり読みが浅かった。2万円の席しかないという。
先日パソコンの修理代を43000円以上も取られて、財布は空っぽの状態だったから、高額の席は諦めた。アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の楽器は、とても高価で有名な話だったが今はどうかしらん?
10代の頃、初めてベートーヴェンの第5シンフォニーをレコードで聴いたのは、ユージンオーマンディー指揮、フィラデルフィア管弦楽団だった。そのコンビで何度か来日しているが40年ほど前、大阪国際フェスティバルに「5番」をプログラムに携えてやって来たのが初来日だったろう。私はなけなしのお金をはたいて聴きに行った。そのとき着ていた茶色のワンピースも覚えている。何度もレコードで聴いた曲を生で聴くことができた「運命」に感激した。
日本人の作曲家・團伊久磨の曲もプログラムにあったので演奏後、團伊久磨とオーマンディーが一緒に舞台に並んだ。団伊久磨は背が高くて西洋人のオーマンディーが小さく見えた。彼は少し足を引きずっていたので脚が悪いことを知った。今は亡きお二人である。
演奏が終わって楽屋の入り口に行くと、すでにサイン目当ての先客がいた。オーマンディーの部屋の前に並んで3番目にサイン帳を差し出したとき、彼は私を見て傍らの人に
「オー、ビューティフルヤングガール!」
と言ったのである。この話はなかなか信じてもらえないのだがホンマにほんとである。あれ以来そんなことを誰も言ってくれないが。私はおしゃれっ気も無く、ストレートの長い髪を一つに束ねていただけだが、オーマンディーのタイプだったのだろうか。
昔から音楽や演劇、映画が好きだった。子どもの頃、学歴が無くても好きな音楽や本から知識を得ようと決意したのだった。独身のときは薄給の身で毎月「労音」や「労演」に足を運んだ。演奏が始まる前、オーケストラのチユーニングで会場に「ラ」の音が響くと期待で鳥肌が立つくらいゾクゾクしてくる。演奏が終わると一曲でも多くアンコールをしてもらおうと手がだるくなるまで拍手をした。
そうだったのに、結婚すると夫の家族と同居で、出掛けるのは市場へ買い物だけの嫁さん家業の日々を過ごすことになる。「天の助け」は5、6年してあった。別居したのだ。
それからはゲイジュツから縁遠くなっていた数年間をすっかり埋めても、おつりが来るくらいゲイジュツを享受した。しかしながら、音楽会のアンコールは1曲で良い、少しでも早く家に帰らなきゃと思っているから、そこは独り身の頃と大きく違っている。めったに夫を連れて行かないからである。それらのゲイジュツ、大して教養は身に付かなかったが、今も辛いときの助けになっている。
そういえば何人もの指揮者にサインをもらったサイン帳は、どこへ失せたのだろう。
2008年05月27日 20:40