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2008年04月30日
障害者からの視点71;中川昌紀
障害者介護の認識
しばらく途切れたが今日は障害者介護の認識について、常日頃感じていることを書く。記載する上で「障害者からの視点65―障害者介護に対する偏見」と内容が1部重なっていることをお断りする。
現在奈良市内の施設で介護を通じて利用者(施設入所している人)と外出したり、障害者生活に対する行政対策の現状について勉強会に参加している。利用者の中には挨拶程度の方から泊まりがけの旅行まで行った人まで様々であるが、利用者との関係で1番長い人とはこの4月で丸11年となった。
先日施設を訪れたとき施設長と話す機会があった。「10年以上続きましたね」とおっしゃられた一言に私はいろんな思いを抱いた。
彼と出会った当初は施設も古い方針で、介護する私が障害あるとのことで2人だけの長期外泊に反対されたこともある。それが今日まで関係が続いたのは何なのか・・・? 彼が私の障害を全部受け入れてくれた上で介護をさせてもらえたこと、それが何より大きいと思う。
障害者介護に対する認識が深まれば施設が変わってきた。現在関わりの深い施設で私と外出することに反対する職員は誰1人いない。だからいろんな利用者と出ていきやすくなってきた。初めての利用者とでも身内の方だけ理解してくれたらいつでも出かけられるのだ。他の利用者とも外出している現状を話せばそこで猛反対される人はまずいない。
そのような環境を地元(和歌山)でも広めようと努力し続けている。わが町では2つの障害者団体に属している。その中で個人的にお付き合いしているが、誰1人深く関われない。障害者同士のつながりだけで介護まで任せてもらえないからだ。私自身介護経験が豊富にもかかわらず、個人で出かけるときは私とは別に必ず健常者で介護してもらえる人を付けようとする。(外出時に介護が必要な人から)会合に誘われて車を出すと言えば、「あなたは個人的に来てください。私の送迎はベテランに頼んでいます」と毎回言われる。団体行事で何か手伝おうとすれば「会員さんはゆっくりくつろいでください。私らボランティアがします」と飛んでくる。すなわち健常者がする側、障害者がされる側と境界線を引かれているのだ。
私は2地方の障害者たちと関わり続けて「障害者介護に対する考え方は介護を受ける当事者の対応で周りの者(介護スタッフ、ボランティアや当事者の身内の方)まで影響を受けるものだ」と強く感じる。
私は介護というものを「持ちつ持たれつ」の関係だと思う。介護を受ける側にとっては健康的で技術を高めた「プロ」のサービスを受ける方が気持ちよいのかも知れない。しかし私が思うのに、たとえサービス料を払ったところで「プロ」だけの介護にこだわるのは社会的に貢献される一方通行ではなかろうか。「障害者」、「若者」や「老人」などで介護に意欲ある素人の気持ちも素直に受け入れ、その人にあった介護方法を考え出すことによって、いろんな人に介護に関心を抱いてもらう。そうすることによって高齢化社会の世の中に介護できる人を増やす貢献につながるのだ。地元も含みたくさんの障害者付き合いをする中で、障害を持っている私に「介護」という勇気、楽しさ、そして積極性を見いだしてくれたのはもはや彼らだけのパワーそのものであろう。
「10年以上続きましたね」という施設長のお言葉を聞いたその瞬間、お付き合いする相手に理解あったからだと強く感じた。
私も30代に入り、新しい家庭を築くことにも焦りが出てきた。でもそれさえ実現すれば満足するものではない。障害を持って生まれた私が介護を通してココまで信頼関係を気付けた仲間たちとこれからどのような形でお付き合いできるのかも真剣に考えたいのだ。
2008年04月30日 18:02